諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報)

昭和元年12月28日付の『岩手日報』には、盛岡の中の橋通りに開業したばかりの「カフェー大安」の広告が掲載されている。これによると、もともとは「大安」という店舗の一部として「食堂部」が営業していたが、このたびその食堂部のみを独立させ、「カフェー大安」として開店する運びとなったようである。

広告には、以下のような内容が記されている。

本日廿八日開店(開店披露)

謹んで御挨拶申し上げます。

私こと永らく皆様の御愛顧を賜り、ここに「カフェー大安」として新たに独立営業いたすこととなりました。

つきましては開店披露として二日間、以下のような御料理を特別に提供いたします。

•御料理一品・御酒一本 … 五十銭

•大安シチュー     … 三十五銭

•スヰトポテト(ケーキ芋菓子) … 二十銭

料理長・内田長一郎氏による、腕によりをかけた一品料理をお楽しみいただきたいとのこと。

この広告からは、昭和初年の盛岡における都市文化と外食の広がりが垣間見える。「カフェー」という名称こそ使われているが、料理内容はあくまで洋食を中心とした食堂スタイルで、「シチュー」や「スヰトポテト」など、西洋風のメニューが登場しているのが印象的である。

また、開店を記念しての特別料金設定や、料理長の名を前面に出しての営業方針など、当時としてはかなり積極的な宣伝戦略がとられていたことが分かる。

盛岡の中の橋通りというと、今も賑わいのある商業地として知られるが、こうした「食堂の独立」や「カフェー化」といった動きは、昭和という新時代を迎える都市の気運の一端を示していたのかもしれない。

 

 


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