大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(S元.12.29岩手日報)

昭和元年12月29日の『岩手日報』紙上に、「社告」として一件の告知が掲載されている。これは、大正天皇崩御にともなう「第1期喪中(50日間)」の期間中、岩手日報社が主催・後援する催しについての方針を読者に示すものであった。

社告によれば、「喪中五十日間に本社主催又は後援の催しものを一切御遠慮申上げる事に決定」したという。つまり、喪に服すため、新聞社としての催しや後援イベントを控えるという立場である。これは、天皇崩御に際して、全国的に行われていた自粛ムードを反映した動きと言える。

その一方で、「恒例によるものは左の如くとり行ひます」とも記されている。ここで言う「恒例によるもの」とは、毎年の年末年始に行われる定番イベントのことであり、以下の4つが明記されている:

  • スキー大会
  • かるた大会
  • スケート大会
  • 青年男女雄弁大会

この文面は一見すると、「催しは一切自粛します」と言いながら「恒例行事は実施します」としており、やや解釈に迷う内容でもある。ここでの「恒例によるものは…」という表現が、「これらは中止せず例年通り開催します」という意味であるのか、それとも「これらの行事も含め中止します」という意味なのかが明確でない。

しかしながら、文脈上は「その他の催しは自粛するが、恒例行事については例外的に開催する」と読める可能性が高い。すなわち、大正天皇崩御という国家的悲報の中にあっても、地域社会に根ざした年中行事は「喪中の中で静かに」開催される道を選んだのだろう。

当時の新聞社は、単なる報道機関ではなく、地域文化の形成においても重要な役割を担っていた。その立場ゆえに、喪に服しながらも「地域の年中行事」を守ろうとした、そのバランス感覚がうかがえる社告である。

 

 


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