国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日)

敗戦による軍事技術の禁止により、日本の航空路も一切禁じられていたところ、昭和26年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便として羽田~伊丹~福岡が復活、その後11月1日に羽田~三沢~千歳が復活した。

盛岡市内では交通公社で飛行機の切符を買うことができたのだが、まったく売れなかった。

昭和27年に入り、ようやく三沢~札幌(千歳)の切符が売れ、それ以降ポツポツと切符が売れるようになった。

それまでの売れ行きは以下。

  • 昭和27年6月:三沢~札幌 3枚、東京~大阪 2枚、合計7枚
  • 昭和27年7月:合計4枚
  • 昭和27年8月:合計5枚

6月に多かったのは県議が関西を視察したからということであった。

利用客は商用が多く、三沢~札幌なら汽車と青函連絡船で17時間かかる所を55分、東京~大阪は急行で9時間かかる所を1時間45分で飛べるのが魅力的であった。

料金は三沢~札幌が3,600円、東京~大阪6,000円と、(三等級制の)二等車より高いが一途車より安いという額であったという。

しかし、岩手から見るとなぜ東京へ行くのに逆戻りの三沢まで行かないといけないのかと不満はあるにはあった。

使用機材は羽田~札幌がダグラス・スカイマスター(DC-4)、羽田~福岡がマーチン・エアライナー(マーチン2-0-2)であり、岩手では宮古上空で見ることができると解説している。

 

 

 

 

 

 


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