昭和元年の岩手日報は今日で最後です(S元.12.29岩手日報)

昭和元年十二月二十九日の『岩手日報』には、簡潔な一文が載っていた。

お断り

本日の本紙を以て本年の終刊と致します

この年の十二月二十五日、大正天皇が崩御し、改元されて間もない時期である。昭和という元号はすでに用いられているが、世は「諒闇」の期間中にあった。新聞や雑誌、広告、演芸、映画なども相次いで自粛がなされ、娯楽や年越しの華やかさは慎まれることとなった。

そうした空気の中での「本日を以て終刊」という告知には、やや抑制的な響きがある。だが、同時にこれは特別なことではなかったとも言える。

当時の地方紙においては、年末の数日間を休刊とするのが通例であった。年内最終号は二十八日または二十九日、年始の再開は一月四日から六日あたりが一般的である。取材対象である官公庁も休みに入り、印刷や配達に従事する人員も年末年始は帰郷・休暇となるため、物理的にも新聞の継続は困難であった。

また、読者側においても正月準備の慌ただしさの中で新聞を読む習慣はまだ強くはなく、新聞を発行しても購読されにくいという事情もあった。中央の大新聞とは異なり、地方紙には地方紙なりの「年末進行」があったのである。

「諒闇中だから終刊」と見るか、「もともと年末は終刊するのが常だから」と見るか。その両方が重なって、この一文は新聞紙上に置かれている。言葉少なであるがゆえに、かえって年の暮れの静けさと、時代の節目の重さとが、じんわりとにじみ出る。

大正の終わりと昭和の始まりは、こうして岩手の新聞の片隅にも、確かに刻まれていた。


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