盛岡・内丸座で「蜘蛛」「腕鳴り肉躍る」「母よ恋し」「讐討乙女椿」初春特別大公開!(S元.12.31岩手日報)

大正天皇の崩御により、その翌日である昭和元年12月26日から5日間の歌舞音曲の禁止が警察から発令された。

昭和元年12月31日の岩手日報より。

大正天皇の崩御に伴って禁じられていた歌舞音曲の禁止がこの日ようやく解かれ、盛岡の内丸座ではすぐさま正月映画の特別興行が始まった。上映されたのは邦画と洋画の取り混ぜによる四本立てで、昭和という新しい時代の幕開けを飾るにふさわしい編成だった。

まず上映されたのは、阪東妻三郎主演の『蜘蛛』。1926年(大正15年)10月1日に公開されたサイレントの剣戟映画で、阪東妻三郎プロダクション製作、配給は松竹キネマ。監督は悪麗之助、脚本と原作は寿々喜多呂九平。全15巻、166分の長編で、同年のキネマ旬報ベストテン日本映画部門で第10位に選ばれている。主演の阪妻が演じたのは紫之塚甲子三郎という剣客で、劇中では宿命と対決する男の姿が描かれた。現存するフィルムは確認されておらず、現在では“幻の映画”となっている。

次に上映されたのは、アメリカ映画『腕鳴り肉躍る』(原題:Teeth)。1924年公開、監督はジョン・G・ブライストーン、主演は西部劇のスター俳優トム・ミックス。愛犬ティースとともに殺人事件の嫌疑を晴らし、山火事の中で恋人を救い出すという勧善懲悪の西部活劇で、愛馬トニーや愛犬デュークの共演も見どころの一つであった。

三本目の『母よ恋し』(原題:Rich Men’s Wives)は、1922年にアメリカで製作された家庭劇。監督はルイ・ガスニエ、主演はクレア・ウィンザーとハウス・ピータース。夫とのすれ違いから家を出た母ゲイが、病床の息子に寄り添う姿を描いた感動作であり、誤解が解けて家族が再び一つになるという結末が多くの観客の涙を誘った。

最後に上映されたのは『讐討乙女椿』。1926年4月22日に東亜キネマ(等持院撮影所)から公開された無声映画で、原作・脚色は田中健一、監督は広瀬五郎。岡島艶子、御園晴峰、団徳麿らが出演し、9巻構成で制作された。乙女椿の名を冠するこの作品は、復讐と女性の情念を描いたドラマであった。

盛岡の内丸座は後年、松竹系封切館「SY内丸」として知られるようになる劇場であるが、この昭和元年の正月興行は、まだそうした体制が整う前の混映興行の時代にあたる。邦洋を問わず多彩な映画が一堂に会する年越しの映画館は、まさに大衆の娯楽と時代の節目を象徴する場であった。

 

 


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