野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日)
1956年1月5日
2022年5月9日
昭和31年1月5日のデーリー東北より。
岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。
そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。
そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。
その箱は、スリットを作り中身が見えるようにした。
これであれば、大量生産をすれば箱代と針金や工賃は1箱あたり33円で出来上がり、「新木炭」のレッテルや検査手数料含めて10円、合計で240〜250円の単価で売れるのではないかと言う結論に足した。
東京での売値は280〜290円になるのではないかと言う見立てとなった。
それでも、以下のようなメリットを目論んでいた。
- 時代の要請である「商品の美化」が期待できる。
- 倉庫積みの整理が容易
- 携帯が容易なので、女性や子供でも持って汚れない。
- 病院やアパートなども狭いところにおける。
- 箱は薄い板でできているので、そのまま手で簡単に折れて焚き付けになる。
- 半量価格なので買いやすい。
- 中身がよく見えるので、銘柄の判別や良否がわかる。
このような、箱による輸送方法は、従来の仲買人に必要だった掃除の手間もなくなり、メリットが大きいのではないかと見られた。