観武(みたけ)ヶ原の開拓農民が盛岡市内で保安隊誘致反対署名(昭和29年4月14日)
1954年4月14日
2021年12月31日
昭和29年4月15日の岩手日報より。
当時、自衛隊は「保安隊」と呼ばれ、その本部は「保安庁」であった。
旧軍の頃は盛岡市の北西の「観武ヶ原」に工兵第8大隊他がこんきょちとしていたが、戦後は引揚者の住宅地や開拓農地となっていた。
現在でもその界隈は「盛岡市みたけ」となっているが、感じで書くと「観武」となる。
その観武ヶ原に、再び保安隊の基地を置く計画があるという。
戦後に着の身着のままで観武の地に来て、どれだけの苦労をしながら開拓してきたと思っているのか?
観武ヶ原の農民は、盛岡市内10ヶ所で反対署名を展開した。