「岩手初の女性代議士」は今・・・
1955年11月6日
2021年11月23日
昭和30年11月6日の岩手日報より。
婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。
そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師範科を卒業し、岩手県歌人協会会員や岩手県翼賛報国会文芸部員まで務めたという、それなりの名望家であった。
政党にしても日本進歩党という、のちの民主党(55年体制前の)に合流し、現在の自民党の元となる保守政党からの出馬であった。
その菅原氏はその後、昭和24年の第24回総選挙で落選してからは、郷里の東磐井郡渋民村に帰って、1人の農婦としてあちこちで手伝いする日々であった。
渋民一と言われた広壮な屋敷はすでに手放してしまい「日雇い」の日々であったという。
それもこれも代議士に出馬した時の借財が原因であったという。
本人曰く「もう選挙はこりごり」。