d宮古・下閉伊郡
- 三陸鉄道は2年連続黒字(S61.4.1) 1986年4月1日
- 三陸鉄道開業(昭和59年4月1日) 1984年4月1日
- 鈴木善幸が第70代内閣総理大臣に 1980年7月17日
- 津軽石川のサケ漁(S49.1.11中日ニュース) 1974年1月11日
- 十勝沖地震(昭和43年5月16日) 1968年5月16日
- 宮古商業高校で修学旅行を廃止(昭和43年3月14日) 1968年3月14日
- 田老鉱山にも公害問題でダム建造計画(昭和42年12月25日) 1967年12月25日
- サケ川開きは大槌川で大漁、織笠川で不漁(S42.12.4岩手日報) 1967年12月4日
- 県内各地で火災予防運動(S42.11.27岩手日報) 1967年11月27日
- 宮古映画案内(昭和42年11月1日) 1967年11月1日
- 昭和42年のゴールデンウィークを振り返る 1967年5月8日
- 宮古魚市場にイルカ水揚げ(昭和42年3月17日) 1967年3月17日
- 宮古海員学校が1年制から2年制に(昭和42年3月14日) 1967年3月14日
- 宮古駅に「乗車券センター」設置(S41.11.4岩手東海新聞) 1966年11月4日
- 宮古・山田映画案内(昭和41年11月4日) 1966年11月4日
- 宮古二中の校歌制定(S41.11.2岩手東海新聞) 1966年11月4日
- 宮古電報電話局は4階建ての高層ビルになる予定(昭和41年10月28日) 1966年10月28日
- さんま漁の最盛期 1966年10月28日
- 宮古二中の生徒が浄土ヶ浜を清掃奉仕(昭和41年7月1日) 1966年7月1日
- 宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日) 1966年7月1日
- 宮古税務署が移転しました!(昭和41年4月8日) 1966年4月8日
- 宮古善意銀行の預託者が増える(昭和41年3月1日) 1966年3月1日
- 県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日) 1966年2月1日
- 巨人軍の王選手が1月に宮古に来ます!(昭和40年12月2日) 1965年12月1日
- 山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) 1965年10月22日
- 葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日) 1965年10月18日
- 早坂峠の秋(昭和40年10月15日) 1965年10月15日
- 盛岡・宮古・釜石・花巻・福岡映画案内(昭和40年10月14日) 1965年10月14日
- 県内各都市映画案内(昭和40年10月11日) 1965年10月11日
- 岩泉の炭焼きの厳しい生活を描いた「焼き子の唄」が津川雅彦主演でテレビドラマ化(昭和40年1月23日) 1965年1月23日
- 盛鉄局「年末年始の帰省は臨時列車が空いてますよ!着席券も発売しますよ!」(昭和39年12月16日) 1964年12月16日
- 重茂海岸にも「岩手川」(昭和39年11月2日) 1964年11月2日
- 岩手トヨペット釜石営業所「新型コロナ発売!」(昭和39年9月11日) 1964年9月11日
- 広くなった宮古駅前広場(S39.9.1岩手東海新聞) 1964年9月1日
- 宮古海上保安署は新庁舎建築中(昭和39年6月2日) 1964年6月2日
- 宮古港に初冬の風物詩ウミネコが舞う(昭和39年11月30日) 1963年11月30日
- 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 1963年9月10日
- 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 1963年4月6日
- 山田町に県下初の「まごころ銀行」 1963年4月1日
- 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 1963年3月30日
- 大船渡・釜石・宮古でスズキ・スズライトの巡回健康診断をします!(昭和37年7月3日) 1962年7月3日
- 宮古港にフィリピンからラワン材が荷揚げ(S37.1.6岩手日報) 1962年1月6日
- 盛鉄局が東京〜八幡平の直通列車を計画(S37.1.5岩手日報) 1962年1月5日
- 1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! 1962年1月1日
- 学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日) 1961年12月6日
- 宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日) 1961年7月22日
- 宮古で消防団のポンプ車が出動したが、酔っ払い運転で横転し5人負傷(昭和36年4月26日) 1961年4月26日
- 津軽石川の川開きは大漁(昭和36年1月4日) 1961年1月4日
- 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 1960年9月8日
- 釜石・宮古・大船渡・八戸各港の市況(S35.9.3岩手東海新聞) 1960年9月3日
- 第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝(昭和35年5月3日) 1960年5月3日
- 山田町合併5周年(昭和35年5月1日) 1960年5月2日
- 東北大「山田町は赤皿貝の養殖に適してますよ!」(昭和35年1月11日) 1960年1月11日
- 山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日) 1959年12月1日
- 潮風を楽しむ田老町の乳牛 1959年9月19日
- 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 1959年9月16日
- 大槌町吉里吉里と山田町に映画館が開館(昭和34年8月21日) 1959年8月21日
- 釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日) 1959年5月22日
- 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 1959年3月25日
- 鈴木善幸の選挙広告 1958年5月17日
- タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 1958年4月18日
- 普代村黒崎集落で料理講習会(昭和33年1月23日) 1958年1月23日
- 宮古二中の生徒が文通で八戸を紹介(昭和32年10月27日) 1957年10月27日
- サケマスはえなわ漁船解禁へ 1957年4月19日
- 三陸沿岸は絶好の潮干狩り日和(昭和32年4月2日) 1957年4月2日
- 新里村ではラワン材を6万石輸入へ(昭和32年1月8日) 1957年1月8日
- 宮古で御神酒を海に注いで大漁祈願(S32.1.3河北新報岩手版) 1957年1月3日
- 海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 1956年7月11日
- 北洋サケ・マス独航船が釜石や宮古を出発(S31.4.23岩手日報) 1956年4月23日
- 県内の漁港からカムチャッカへの北洋独航船出発(S31.4.21岩手日報) 1956年4月21日
- 宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日) 1956年3月22日
- 牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日) 1956年3月17日
- 宮古の公益質屋は残念な大繁盛(昭和31年2月12日) 1956年2月12日
- 新里村で20貫(75kg)のクマ射止める(昭和31年1月11日) 1956年1月11日
- 躍動する宮古港(昭和31年1月8日) 1956年1月8日
- 南部鼻曲がり鮭で有名な津軽石川で川開き(昭和31年1月4日) 1956年1月4日
- 安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! 1956年1月4日
- 宮古市役所「吏員ども!お前らにボーナス払ったら年越しできなくなるぞ!滞納税金取り立てて来い!」(昭和30年12月21日) 1955年12月21日
- 昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日) 1955年12月20日
- 山田線の捨て子(昭和30年11月17日) 1955年11月17日
- 山田線の赤字はすでに3億円(昭和30年11月16日) 1955年11月16日
- 宮古の遊園地で小鹿が誕生(昭和30年8月3日) 1955年8月3日
- 山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日) 1955年8月1日
- 三陸縦貫鉄道と北上山系横断鉄道に国鉄の調査隊 1955年1月10日
- 山田線が6年ぶりに復旧 1954年11月21日
- ビキニ「死の灰」で宮古でも原水禁運動(S29.9.1岩手日報) 1954年9月1日
- 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 1954年8月1日
- 岩手殖産銀行宮古支店でギャング事件(昭和29年4月12日) 1954年4月12日
- 宮古魚市場で3貫500匁の大マス 1954年4月10日
- へき地教育の過酷な現実 1953年12月16日
- 下閉伊郡の漁場ではブリ・マグロの最盛期 1953年5月18日
- 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 1953年3月5日
- 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 1953年3月3日
- 釜石港も宮古港もサンマ漁船でいっぱい(S27.9.21岩手日報) 1952年9月21日
- 岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日) 1952年9月18日
- 盛岡八幡宮の流鏑馬と宮古・横山八幡宮の引船祭り(昭和27年9月17日) 1952年9月17日
- 山田・島ノ越の各漁港が起工式(S27.9.17岩手日報) 1952年9月17日
- 宮古港の朝(昭和27年9月16日) 1952年9月16日
- アイオン台風の水害孤児たち(S27.9.13岩手日報) 1952年9月13日
- 全国的に珍しい田老町の防波堤(S27.9.7岩手日報) 1952年9月7日
- 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 1952年5月6日
- 1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) 1952年1月5日
- 早くやってほしい施設15傑(昭和25年11月30日) 1950年11月30日
- 国立公園候補地!夏の浄土ヶ浜観光案内(昭和25年7月1日) 1950年7月1日
- 暴風雨で下閉伊郡北部に甚大な被害(昭和25年1月31日) 1950年1月31日
- 宮古や釜石で南海ホークス対大陽ロビンスの試合?(S24.11.11岩手新報) 1949年11月11日
- 小さな駅は廃止しますよ!(昭和24年9月3日) 1949年9月23日
- 久慈でヤギの四つ子、川井で月の輪のないクマ(昭和24年5月5日) 1949年5月5日
- 山田線の不通区間の保線用モーターカーへの便乗は禁止(昭和24年1月18日) 1949年1月18日
- アイオン台風の被害に遭った宮古に宮城県渡波港から救援米が届く(昭和23年9月19日) 1948年9月19日
- 学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日) 1947年12月1日
- 第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり 1947年4月9日
- 岩手開拓公社が時局講演会(昭和21年9月9日) 1946年9月9日
- 樺太からの脱出者に聞く樺太の現状(昭和21年7月1日) 1946年7月1日
- 「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 1945年8月14日
- 代用食、代用醤油のレシピ(昭和20年7月10日) 1945年7月10日
- 戦時下でも津軽石川の川開きは大盛況(昭和17年1月8日) 1942年1月8日
- 記者が古参機「8620型」に同乗して山田線を取材 1941年11月28日
- けふ閉伊川の鮎漁解禁!(S14.7.1新岩手日報) 1939年7月1日
- 第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) 1937年5月27日
- 津軽石川の川開きでサケ大漁(昭和11年1月12日) 1936年1月12日
- 岩手日報社が浄土ヶ浜に案内図を寄贈(昭和10年4月6日) 1935年4月6日
- 宮古海岸は宮古海岸は潮干狩りで大賑わい(昭和10年4月5日) 1935年4月5日
- 釜石〜宮古の定期自動車(昭和10年3月2日) 1935年3月2日
- 徴兵検査の攻守合格は下閉伊郡が1位(S9.9.1岩手日報) 1934年9月1日
- 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) 1933年11月2日
- 八戸の男が盛岡や宮古で詐欺行脚(S8.11.1岩手日報) 1933年11月1日
- 三陸大津波 1933年3月3日
- 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(昭和7年1月4日) 1932年1月4日
- 宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日) 1930年3月1日
- 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 1929年9月5日
- 川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) 1929年9月3日
- 宮古町で腸チフス流行(S4.9.1岩手日報) 1929年9月1日
- 宮古随一の豪邸「対鏡閣」が身売り(昭和4年8月28日) 1929年8月28日
- 山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(昭和3年8月29日) 1928年8月29日
- 全校児童の3分の1を落第させる小学校 1928年4月8日
- サンマの季節の貨物列車 1927年10月8日
- 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日) 1927年1月9日